décadence dance

映画の感想や解説を主に、音楽や生活についても書きます。

リコリス・ピザ / 君も僕を忘れないだろう?(*ネタバレなし感想)

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(原題:Licorice Pizza / 2021年製作 / 133分 / ポール・トーマス・アンダーソン監督 / アメリカ)

ポール・トーマス・アンダーソン(以降:PTA)は大好きな監督の1人だ。「ザ・マスター」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」などの重厚な作品から、「ブギー・ナイツ」や「マグノリア」のような群像劇まで、とにかく人間を描くことが上手い人だと思っている。私は特に「パンチドランク・ラブ」がオールタイムベスト級にお気に入りで、ある男の人生のスリリングさ、不安定さ、カオスさ、そしてそこにスパイスかのように偶然加わる恋のロマンチックさを、時にはシリアスに、そして時にはファンタジックな映像を多用することで表現しきったとても完成度の高い作品だと思っている。PTAの脚本はタランティーノもよく使う手法の事実とフィクションを組み合わせた形式のものが多く、そこで描き上げる人間模様、ひいては人生賛歌とも言うべき細部にまで手の込んだ演出が見事だ。
新作の「リコリス・ピザ」も例に漏れず、PTAの傑作の1本だと言えるだろう。

題名の「リコリス・ピザ」は残念ながら劇中には登場しない。70年代に実在したレコードショップの店名らしい。頭文字をとるとLPとなるのが巧い。
リコリスはグミやガムに使用される海外ではポピュラーな黒いお菓子で、(日本でも一時期、リコリスグミがタイヤのゴムの味だと話題になっていた覚えがある)もちろんピザと合うわけがない。その組み合わせそのものが、アラナとゲイリーという一見カップルとしては年の差や生まれ育ち、宗教などを加味すると歪に思える2人を象徴しているように思えた。

2時間超と長尺な作中では、劇的なことは何も起こらず、アラナとゲイリーが過ごす夏の日々の取るに足らないようなエピソードが次々とスクリーンに映し出される。その1つ1つがとても笑えるのと同時に気まずかったりして、目が離せない。

2人の出会いのシーンもほぼワンカットで撮っておりとても素晴らしかったのだが、私は特にアラナとゲイリーの初デートシーンが好きだった。アラナが「どうせ私のことは忘れるでしょう」と言うとゲイリーは「君のことは忘れないよ、君も僕のことを忘れないだろう?」(”I’m not gonna forget you just like you are not gonna forget me.” 直訳:君が僕を忘れないのと同じように、僕は君のことを忘れないよ)と自信に溢れた満面の笑みで答える。
アラナはそれに応えるように本当にうっすらと、口角を緩め、ゲイリーを見つめる。

ゲイリーは野心家で俳優をしながらビジネスの資質にも長けている。アラナと一緒にウォーターベッドの電話販売を始めるようになる。ゲイリーの弟や仲間も加わり、軌道に乗っていく。ある日、ウォーターベッドの設置へ向かうとそこにはジョン・ピーターズ(ブラッドリー・クーパー)が。

「俺の彼女誰か知ってるか?バーブラ・ストライサンドだ。バーブラ・ストライ”ザンド”じゃなく、ストライ”サンド”だ、砂のサンドみたいな感じで」
ブラッドリー・クーパーはもはや名優の域で、彼が登場するだけで画面がパッと明るくなり、場にまとまりが生まれていた。

アラナはその帰り、バカ騒ぎをしているゲイリーとその仲間たちを少し離れた場所から眺め、急に思い悩む。20代も半ばなのにこんな年下の奴らとつるんでいて良いのだろうか。振り向くと選挙ポスターが目に入り込んできた。これだ。政治に参加するんだ。そして、大人になるんだ。

同級生の紹介で、アラナは市長選の候補者、ジョエル・ワックス(ベニー・サフディ)事務所でボランティアを始める。大人たちに囲まれ、少し評価もされ、自分が立派になった気がした。
ある日、市長候補から食事に誘われて向かったところ、市長候補ともう1人、見知らぬ男性マシューがいた。どうやら2人は付き合っているようだが、それをゴシップ記者が嗅ぎつけているらしい。アラナはマシューの恋人のふりをして、彼をアパートまで送る。

「彼氏はいる?」

「イエス&ノー。よくわからなくて」

「くそ野郎?」

「ええ」

「みんなくそだよな」

アラナのモラトリアム成長の物語として風呂敷を閉じていくのかと思いきや、大人の世界も想像以上にくそだと痛感した彼女が選んだのはゲイリーに対して素直になることだった。それこそが彼女にとっての成長だったのだ。

2人は互いの為に走り続ける。日常もずっと続いていく。将来があり、夢があり、希望があり、そして好きな人がいる。しかしこれからの2人を待ち受けるものは政治の不正だったり、戦争だったり、経済の混乱だったりする。くそばっかの世界だ。でも恋をした瞬間、そんな世界もたまには少しキラキラ輝いて見える。夏の汗の輝きのように。鑑賞後はそんな2人が実在していたあの時代へ思いを馳せ、涙が出そうになるのと同時に、取るに足らない私の日常の美しさも肯定できる気になれた。

それはそうと、David Bowieの楽曲はなぜ走る若者との親和性が高いのだろうか。「汚れた血」の”Modern Love”もそうだったが、今作の”Life on Mars”も見事だった。夕方の街を歩きながら聴いていると泣きながら走り出してしまいそうだ。


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